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昼間は大勢の人が集まり、にぎやかだった海も今は静まり返っている。
もう日が沈んで大分経つ。
本来はこんな時間に船を出すのは航路を失って遭難するか、座礁するか、もしくは海賊に襲われるか、
といった危険ばかりが伴う自殺行為だ。
が、この船に乗っている2人はかつてクールークとの戦いで勝利を治めた軍のリーダーとその軍で一番強い、
ガイエン騎士団の戦士だった男だ。
共にまだ若いが、2人の外見からでは、互いに少し年齢差を感じさせる。
先の戦いの中で真の紋章の呪いを受け、不老となったこの軍のリーダーの名はレイ。
もう一人の名は、タル。
戦いの後、戦士としての腕を惜しまれながらも漁師として生きる道を選んだ。
途中、再び戦士として戦いに参加することもあったが、今では用心棒の不要な漁師として、
ラズリルの漁師仲間で一目置かれるまでになった。
そのため、夜の航行も手馴れたものである。

「しっかし、お前、本業の俺より釣りの腕、良いんじゃねぇか?」
「数が多いってだけで、魚の質はタルのほうがずっと良かったよ。みんな美味しいって言ってたし……
それに、多く釣れるポイントに船を出したのはタルだよ。さすがに漁師なんだなってみんなも僕も感心してたんだ。
今日は楽しかったよ」
いつだったか、昔の仲間たちに釣り大会でもやろう、と持ちかけたのはタルだ。
そのときは、すぐにでも集まれるものだと思っていたが、結局は数年が経っていた。
久々に会った昔の仲間も、あれから大人びた外見になっていた。
ただ一人、あの時のまま、肉体の年齢が止まっているのはレイだけだ。
そんなことは気にもせず、昼間は釣りを楽しんだが、こうして2人だけになると
時間の流れが違うことを思い知らされてしまう。
そもそも釣りが終われば、次の再会を約束して、それで解散するつもりだった。
「ごめん……タル、もう一度、船を出してくれないかな?」
皆がそれぞれの場所に帰って、最後まで残っていたレイが、こう切り出さなければ。
「おう、まだ釣り足りないってか?いいぜ、付き合うよ」
仲間の誘いに二つ返事でタルは答えた。
他愛の無い話をしながら、日が完全に沈むころ。
2人を乗せた船は、かつて流刑船で流された海域に達していた。

「ちょうどこの辺りだよね、僕が流刑船で流された場所」
真ん中にランプを置いて、甲板にタルと向かい合って座り込んでいるレイがつぶやいた。
「雨も降り出して、これから僕ひとりでどうなるんだろうって不安だったよ」
うつむき加減でつぶやくレイの表情はタルには見えない。
「あぁーあんとき!俺たち勝手に船に隠れたわけだけどよ、隠れてから、
もしこの船じゃない船使われたらどうしようって俺も不安だったんだぜ」
雲ひとつ無い星の綺麗な夜空を見上げて、タルが答える。
「うん……確かにそう考えると運良かったってことだよね。でも、本当に良かったよ。
タルたちが一緒に来てくれて。巻き込んでしまったようで申し訳なかったけど、
あのときはみんなが来てくれて嬉しかった」
レイは言いながら、顔を上げ、タルに微笑む。
「僕は……タルに助けてもらってばかりだったよね」
その表情は、昔、レイがスノウの父で育ての親だったフィンガーフート氏の前で見せていたものと同じだった。
本心を見抜かれまいとして、とりあえず周りを心配させないために作る表情、とでも言うのだろうか。
タルがレイと話すようになったのも、直感的にそういった作った表情の裏にある本心を知りたいと思ったからだ。
好奇心でもなんでもなく、ただ本音で語り合える仲間になりたかった。
そうして気がつけば、レイはタルたちに本音を話せる仲間になっていた。
かつてスノウと対立したときも、仲間に救われた。

「レイ、お前……何か隠してないか?まさかまた紋章が?何か話しにくいことだから、
船を出せって言ったんだろ?」
いつもは笑顔を絶やさないタルが、真剣な顔でレイを見つめる。
普段はおっとりのんびりしているタルは、こういうとき鋭いところを突く。
真剣な話ほど、直感的に促してくれるので話すほうは話しやすい。
「前にも言ったよな、俺はどんなことでもレイの力になるって。俺だけじゃない、
騎士団のみんなは誰もそういう気持ちだって。それによ、スノウだって昔のスノウじゃないしな。
その、俺がどうこうできる問題じゃないのかもしれないが……ちゃんと話してくれよ、な」
真っ直ぐな瞳に見つめられ、レイはつい、目をそらしてしまった。
「タル……実は、僕……そろそろこの国を離れようかと思っているんだ」
下を向いたまま、レイはこう告げた。
今、タルはどんな顔をしているのか気になるが、それ以上に、続く言葉が見つからない。
しばしの沈黙に潮騒だけが船上に響く。

「……そっか。いいんじゃねぇのか?お前がそう決めたんなら」
沈黙を破ったタルの言葉に、レイは顔を上げる。
目の前のタルは、優しい眼差しを向けていた。
「で、もうすぐにでも旅に出ちまうのか?」
「このこと、みんなには大分前に話してるんだ。タルは僕がラズリルに行ったとき、
漁に出てて、今日になるまでずっと言い出せなかった。だから、近いうちに……」
レイの決意は、ずっと以前から固まっていた。
いつまでもオベルにいたら、オベル王や仲間達に甘えてしまう。
初めはそれでもいいと思っていた。
紋章を狙ってオベルが奇襲を受けたりしないかが一番の心配だった。
だが、そんなことよりもっとつらい現実に気が付いてしまった。
時間が止まったのは自分だけで、周りの仲間は年を重ねて大人になっていく……
レイはその変化を見続けるのがつらくなってきたのだ。
王国の中も、戦いの後、新しい民が増え、年を取らないレイを奇妙に思う民もいる。
時が経てば、人も変わる。
国も……変わる。

「まぁ、もうクールークとの戦いも昔の話だしな。オベルに居たって、
もうお前の紋章のこと、知らないやつも増えただろ?何も知らないやつから見れば……
レイは人であって人じゃない、みたいな目で見られちゃうもんな。
レイだって好きで紋章宿してるわけじゃないのにさ……。そして昔の仲間が変わっていくのに、
自分は取り残されてるのもなんか居心地悪いんだろ?」
タルは星空を見上げながら、つぶやいた。
「……他のみんなにはもっと普通に、世界を見たいって打ち明けた話だったんだけどな。
タルってば、時々、僕の本心読んだみたいなこと言うよね。」
レイもタルのように空を見上げて答えた。
流刑船では見ることが無かった、満天の星空が広がっている。
「タルの言うとおり、僕は自分がみんなと違うってことがつらいと思ってしまった。
みんなみたいに、普通に大人になって、そして限りある人生を生きたかった。そんなふうに思ってしまったから……
みんなの優しさが嬉しいのに、何故か辛い。いっそ、もう罰の紋章に喰われたい、そんな気持ちにさえなる」
こんなことまで言うつもりはレイになかった。
いくらタル相手でも、これではただの愚痴だ。
「なあ、レイ。レイは人よりずっと尊い存在になったってことなんだぜ?
そりゃあ不老ってのは思ったよりずっとつらい呪いかもしれねえけどよ、
普通の人よりその分、いろんなことできるじゃねえか!新しい仲間だって、絶対見つかるし、
世界も変化して今より面白いことだってきっとある。俺は昔みたいにレイの側にいられねぇけどさ、
レイが覚えている限り、俺はいつの時代になってもレイの側で生きているんだぜ?それってすげぇことだよな!」
言いながらタルは立ち上がって、レイを見下ろす。
レイは驚いた顔でそんなタルを見上げる。
「……なんか、俺らしくないこと言っちまったけどよ、俺はいつまでもレイの仲間だからな!
確か昔、テッドってお前と同じような紋章宿したヤツ、いたよな。まずはそいつ探し出して、
上手い生き方教えてもらうってのはどうだ?旅の目的として、良い感じじゃねぇか?」
「あ、それは確かに面白い旅になりそうだね。思いつきもしなかったよ」
レイも立ち上がってタルの側に寄る。
自然とタルの右腕に自分の腕を絡ませた。
かつてタルが右手に宿していた土の紋章はもう戦いの終了と同時に外してしまった。
「僕が紋章の力を抑え切れなくて倒れたとき、つらいときに、いつも助けてくれた腕、温かいね……。
僕はあの時、ちゃんとお礼を言えてなかったよね。ありがとう、タル」
「どした?急に腕なんか組んで……まぁ、いいけどよ。その、俺もレイには感謝してる。
俺が漁師になるきっかけも、シラミネさんとの出会いも、レイのおかげだからな。
レイと一緒にいろんな物も見てこれた。ありがとな」
タルは傍らのレイに笑顔で答える。
「タル……僕は、やっぱり本心が顔に出るのかな?自分ではあまり感情出しているつもり、ないんだけど」
レイも笑顔でタルに問いかけた。
「ん?なんつーか、お前の場合は他人に対してもう少し、自分らしさを見せてもいいんじゃねぇの?
ご機嫌伺いが上手い顔はしてるけど、そんなのいつまでも続かないだろ?今俺に対してしてる顔、
それなら問題ない!その調子で、生きられるところまで生きろよな。っていうか、もう腕、放せよ。
俺、そんな趣味無いぃっ?」
タルが言い終えるより早く、レイの唇がタルの頬に触れた。
「僕は、タルが好き……だよ。早速明日にでも旅立つ用意しようかな、良い思い出もできたから」
タルの厚い胸板に顔をうずめ、レイは小さく囁いた。
「レイ……」
タルはそんなレイの背中をそっと抱きしめた。
「俺はレイと共に生きたこと、忘れないから。お前も、忘れないでくれよ」
レイは、その感触がもう少し続くものと思っていたが、あっさりタルは体を離してしまう。
「ちょっと待ってろ、レイ」
そういって、地下の船室へ向かう。
取り残されたレイは、ただ立ち尽くすしかなかった。

「レイ、これお前にやるよ」
「……これって、もしかして?」
船室からすぐにレイの元に戻ってきた、タルはお世辞にもキレイとは言えない古びたベルトをレイに手渡した。
忘れるはずがない。
それはレイと共に、ラズリルを離れ、クールークと戦ったあの頃。
そしてクールーク本国でも再びタルと共に戦ったあの頃。
タルの左腕に巻かれていたベルトだった。
「貰っても困るって品物だと、俺も思うけどよ……それくらいしか俺がお前に渡せるもの、無くってさ。
一応それ、俺がガキの頃に死んだ親がくれた形見になっちまった物なんだ。
ベルトの付いたズボンってのに妙に憧れた時期があって、買ってもらったんだけど、すぐ大きくなっちまってさ〜」
気恥ずかしそうにタルは、レイに打ち明けた。
「ま〜その、俺からレイへの形見分け……いや、俺まだ死んでねぇから違うか!思い出の品?
う〜ん……ま、なんでもいいや。いらないなら捨ててくれて構わないよ」

「……そんな……タルの大事な物、僕が貰っていいの?」
うつむいて、手元を見つめたまま、レイはつぶやく。
「ああ。本当はもっと、こうなんだ、真珠の首飾りとかそういう、それっぽいものくれてやりたいんだけどよ……」
タルはそんなレイを見て答える。

そのレイが顔を上げ、タルにそれが見えたとき……レイは泣いていた。
強い意志を感じる瞳から、涙が溢れていた。
「うわっ、なんだ、どしたレイ!こんなものしかやれない俺を哀れんで泣いてくれるのか?」
レイの心情を知ってか知らずか、タルは茶化すように言う。
レイは……泣くつもりなどなかった。
これまで誰にも、タルにさえ、涙をみせることはなかった。
レイ自身も戸惑いながらも、涙は止まりそうにない。
「……か、からかわないで……僕……その……嬉しい……だから……」
泣き顔をずっと見つめられるのが嫌で、レイは再び、タルの胸に飛び込んだ。
そして、押さえ切れない思いを……自分の唇で、タルの唇をふさぐことで伝える。
自分の感情は、恋、なのだと。

「……ごめん。でも……僕は……」
タルの胸に顔をつけたまま、レイは言った。
「僕は……タルが、好きだから」
その言葉に答えたかのように、タルは力強くレイを抱きしめた。
「……別に、俺はお前に謝られるようなことは、されてねえよ。その……
俺も、レイのことは好きだ。だけど……俺にはそんな趣味は……やっぱ無いけど……お前の気が済むまで、
こうしていてやるよ」
そんな二人を、潮騒と満点の星空だけが静かに見守っていた……。





そののち、レイは群島諸国から姿を消した。