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「な〜んか、お前、最近不機嫌そうな顔してねぇか?」
いつもの軽い調子で、タルは僕に話しかける。
訓練後、お風呂でゆっくり疲れを癒そうと思っていたのに、また思い出してしまった。
「ほら、その顔……なあ、レイ。お前、何か嫌な事、誰かに言われたりしたのか?」
タルは心配そうに僕の顔を覗き込む。
女湯のほうからはジュエルとポーラの楽しそうな笑い声が響いている。

「ま、言いたくないことを無理に言う必要はねえけどよ〜また何かひとりで悩んでるのか?
って心配になっちまうからよ」
そういうと、タルは湯船から上がった。
湯煙の中、タルの大きな背中が立ち止まった。
「あのさ〜レイ、わりいんだけど、この後、ちょっとお前の部屋で昼寝させてくれねえか?
病気ってわけじゃねえから、キャリーさんのところにも行きにくいんでな」
「……いいよ。僕、これから船内の様子を見たいと思っているし、しばらく部屋に戻らないようにするから。
気にしないでゆっくり休んで」
僕がそう告げると、タルは言った。
「昨日、夜釣りしたのが響いてるのか……訓練に付き合って、風呂入れば目が覚めるかと思ったけど、
逆に眠くてたまんねえぜ。あ、船の中の一番奥の変な部屋、あそこは入らないほうがいいぜ、
なんだか知らねえけどタライが振ってくるからよ」
最後にレイ、ありがとな〜と言い残して、タルはその場を離れていった。
僕は顔まで湯船につかり、さっき思い出したことを忘れようと努力する。
ごめんタル。
そのタライは僕が落としたようなもんだよ。
だけど……タルが変なこと言うから。
今だってそう、本当はそんなに疲れているのに、無理して僕に付き合ってくれた。
僕だって、タルのことが心配なのに。
忘れるどころか、余計に思い起こされて、僕はすっきりしないまま風呂場を後にした。
ジュエルたちはまだ楽しそうに話しこんでいるようだ。
……僕は、そういえば罰の紋章を宿してから、こんなふうに全てを忘れて笑っていない。
何かと考え込んでばかりいる気がする。

育てているキノコの様子を見に行ったり、引き網の様子を見に行ったり、壁新聞を読んだり、
バジルとコマ勝負をしたり……結局、船内の様子を見て、自分の部屋に戻ったのは、風呂場から出て、
2時間後だった。
もうタルは起きだして部屋にはいないだろうと思って、部屋の扉を開ける。
予想に反して、タルはまだ寝ていた。
文字通り、ベッドの上で仰向けに大の字になって穏やかな寝息を立てている。
もういないものと思っていたから、僕は少々困惑した。
また船内をうろつくのもどうかと思うし、一人で何処かの街に行く気にはなれなかった。
とりあえず、椅子に腰掛けて、タルの様子を覗う。
思えば、僕は宿舎にいたわけじゃないからタルと風呂に入るのも、この船で初めてしたことだったし、
タルの寝顔なんてもちろん見たことが無い。
友達であり、仲間であり、まるで兄弟のようでもあるけれど、僕はタルについて知らないことも多い。
僕自身、自分の親や故郷を知らないから、あまり詮索する気はない。
だけど……タライの……懺悔室で、自分に言えないタルの本音を知って、ショックだったんだ。
タルの気持ちもショックだったけど、タルにそんなふうに思わせてしまった自分も許せなかった。
あのタライは、僕が受けるべきだったんだよ。

タルが起きる気配は今のところ無い。
僕は……ふと、タルの髪に手を触れてみたくなった。
少し癖のある髪は、見た目ほど硬くなかった。
何故か僕の鼓動が早くなる。
僕の手は、タルの額に触れる。
前髪を上げると、少し狭いおでこが目に飛び込む。
……熱は無いようだ。
変わりに僕は、顔が熱く、赤くなってきた。
まるで周囲に聞こえているんじゃないかと思えるくらい、心臓がドキドキしている。
それでも目覚める気配の無いタルを見て……僕は……。


僕は、自分の唇をタルの唇に重ねていた。
「……ん……」
タルの目が覚めようとしているのが、唇を通してわかる。
僕はすぐさま、慌てて部屋を飛び出した。
扉が大きな音を立てて閉まる。
きっと今の音で確実に、タルは起きてしまったと思う。
僕は、今、何をした?
顔がものすごく熱い。
僕は、駆け足で階下に降りた。

「お?レイさん、釣りっすか??」
少し海風にあたって、ほてった顔をどうにかしようと思い、僕はウゲツさんから釣竿を受け取った。
30分くらい釣り糸を垂らして、気持ちは落ち着いたが、釣りの成果はバケツだけだった。
ウゲツさんの話では、今この船で一番の大物を釣り上げたのはタルだそうだ。
僕はそのタルに、変なことをしてしまった。
でも、後悔はしていない。
僕は再び、自分の部屋へ戻ることにした。
ウゲツさんが変わりに釣ってくれた、鰯を、焼き魚にして。
目が覚めても、タルは僕が戻るまで待っている、そんな気がしたから。

「俺、ずいぶん長いこと寝ちまったみたいだな〜ごめんな、お前の部屋なのに。
これじゃ今夜も寝不足決定かもな〜」
部屋に入った僕を見るなり、タルは照れくさそうな顔で言った。
「……お?その焼き魚、レイが釣ったのか?」
目ざとく僕の持っている焼き魚に気がつき、そういいながらベッドに腰掛けるタルに、
僕は視線をなるべく合わせないようにして、手渡す。
そのまま僕は、テーブルの側の椅子に座った。
「僕が釣ろうと思ってたんだけど、これはウゲツさんだよ。今日の僕は全然釣れなかった」
「ま〜そう言う日もあるよな!」
寝起きながら、タルは美味しそうに僕が手渡した焼き魚を頬張る。
僕がその様子に視線を向けると、何故か視線を避ける。
なんか、いつものタルらしくない。
なんだか昔、出会った頃、少し緊張して一緒に食事をしたときと同じような、居心地が悪いわけじゃないんだけど、変な沈黙が続く。
僕はタルじゃないから、こういうとき、何を言っていいのかわからなくて結局黙り込んでしまった。

持ってきた魚はあっという間になくなってしまい、最終的に、罪悪感を持ってしまった僕は、タルに話しかけた。
「タル?その……何か……あったの?」
もしかしたら、僕がしたことに気が付いていて、僕が何も言わないから、気まずくなっているのかもしれない。
気が付いているのなら、正直に話そうと思った。
僕が決して、興味本位でしたことじゃないって知って欲しかった。
「レイ……笑わないで聞いてくれるか?ん〜いや、笑ってくれていいんだけど……
くそ、本人目の前にしていいにくいったらねえな〜」
タルは珍しく、顔を真っ赤にして、意を決したように僕を見つめる。
きっと、あのことを言い出せないって判っている僕は、ちょっとずるい。
「何の……事?僕、どんな話でも、タルのこと笑ったりしないよ」
僕はちゃんとタルに視線を合わせる。
もう目をそらしたりしない。
「ん〜ま、それは別として……レイ、機嫌直ったみたいだな!何があったか知らないけど、
元のレイに戻ったようで安心したぜ」
タルの言葉に、僕はまた、思い出してしまった。
僕が不機嫌そうに見えた、というタルは正しい。
「あぁ?何、俺、気に触ること言ったか?」
ちょっと意地悪だと思いながら、僕は恨めしそうな顔でタルを見返した。
「タル、絶対笑うと思うから、僕から言いたくなかったんだけど……釣りの腕は確かにタルのほうが上だよ」
タルが驚いたような顔で僕の言葉に聞き入る姿がなんだか面白い。
いつもは、逆の立場だから。
「レイ、まさかお前、あの変なタライの落ちる部屋の向こう側にいたのか?」
意外と察しの良いタルは、すぐに気が付いて僕に言葉を返す。
「悪かったよ、調子に乗ったこと言っちまって……まさかレイがいるなんて思ってないからさ〜あ?
じゃああのタライもお前が??」
「……結果的にはそうなるよ。僕はタルを許せなかったから」
ちょっと強気に言い放ってみる。
タルはきっと気が付いてない。
僕が何を許せなかったのか。
「そのぅ……レイ様、申し訳ございませんでした!釣りの腕はレイ様のほうが俺より上です!!」
タルはベッドの上に正座して深々と頭を下げる。
やっぱり気が付いていない。

「僕が許せなかったのは、そのことじゃないんだ、タル。タルはあの部屋で、
僕の力になれてない、なんて言ったんだよ。強い仲間が増えてお荷物になってるんじゃないかって、
そう言ったんだよ……僕、この軍で一番強いのはタルだと思っている。一番頼りにしている。
だからタルがそんなこと思っていたなんて全然気が付かなかった。どうして……僕に話してくれなかったの?
だから……」
タルは下げていた頭を上げ、僕に真剣な目を向けた。
「笑ってくれてかまわないよ……だけど、僕だってタルが心配なんだ。今日だって、
そんなに疲れているなら、僕に付き合う必要なんか無かった!あのタライは……僕が受けるべきだった……。
全然、タルのこと……僕は……気遣ってない」
僕は段々、タルの目を見て話すのが苦しくなってしまい、言い終えるとうつむいた。
「……レイ。なんつーか……俺、お前のこと傷つけるようなこと言っちまったみたいだな。
ホント、ごめん。許されなくて当然だな。でもよ、レイが自分の事、責めるのは間違ってるぜ。
だってレイはもう、昔のレイじゃない。こんな大きな船のリーダーなんだ。
いろいろ忙しいってわかっているつもりだから、俺、レイの誘いは疲れてても断れねぇわけよ。
結局余計な心配させちまったけど……やっぱさ、ちゃんと話さなかった俺が悪かった。レイが良いって言うなら、
俺は何処までも付いていく。言いたいこと、言う。レイにもう隠し事したくないからな」
タルはいつの間にか、僕の側にいて、うつむいている僕の頭をそっとなでる。
「俺が、お前に不機嫌そうな顔させてたんだな。気が付かなくて……悪かった」
タルはいつだって、優しい。
僕に対してだけじゃない、仲間に対して優しいから、この軍の中にもタルが好きだという人は、
たくさんいる気がする。
でも、多分、僕が一番タルの近くにいる。
それだけで、充分嬉しい。

「あ!」
僕は、自分がタルにしたことを……思い出してしまった。
そういえば、結局タルは僕のしたことを……どう思っているのだろうか。
「な、なんだよ、急に。びっくりするじゃねぇか……あっ」
互いに視線がぶつかって、互いに顔が赤くなる。
やっぱりタルは、僕がしたことを……知っているんだ。
「あ、あのさ……タル。さっき言いかけてた話は何?」
僕からタルの話を伺うのが筋だろう。
「うぅ……今隠し事したくないって言ったばかりだからな……。じゃ、言うぞ。
俺、寝てる間に……レイに……その、キスされてる夢をみちまったんだ。なんつーか、妙に感触がリアルで……
で、なんか俺、欲求不満なのか?とか思っちまって」
タルは風呂上りのような真っ赤な顔で言いよどむ。
……夢じゃない、なんて言ったらどう思うんだろう。
僕はタルに言った。
「……タル、そんな夢みて……その……どう、思ったの?」
「……どう、って……まぁ……嫌じゃなかった……かな。
だけど、本物のレイがそんなことするわけないし、な。あ〜その、えと、そんな趣味、俺には無いから!
これは絶対、疲れているから見た幻なんだよ!あ……レイ、その……俺がそういうことしたいって思っている、
なんて誤解……絶対すんなよな!」

僕はもう、タルに隠し事をすることに決めた。
最後に僕は付け加えた。
「タル、僕も……多分、そんな夢見たら……嫌だとは思わないよ」
「く〜レイ、冗談キツイぜ」
タルはそういって、笑った。
僕も……久しぶりに、心の底から笑った。