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「お前、何しに来たんだよ」
群島諸国連合軍の本拠地というべき大きな船内。
その中の一室では、彼の荒ぶる声はその場止まり。
不思議な霧の船で、出会った少年の部屋へ、来訪者があるのは珍しい。
この部屋は最初、群島連合軍のリーダーであるレイや、新しい仲間の顔を見ようとする者も訪れたが、
彼の他人を寄せ付けない……というよりも、むしろヒトを拒んだキツイ言動のせいで、次第に皆、彼と距離を置くようになっていった。
そして、彼もそれを望んだ。
孤独を好むというよりも、無理をして孤独であろうとしている彼の本性に気が付いたアルドだけは、
同じ弓の使い手としてだけでなく理解者になろうとして、彼の部屋に出入りしているようだ。
だからアルド以外の人物が、彼の部屋に来るのは、本当に珍しい。
彼の名前はテッド。
ソウルイーターという罰の紋章と同じ、いわゆる呪われた紋章の所有者。
その事情を知る人間は、この船では多くない。
知っているのは霧の船に乗船した者と、アルドくらいだろう。
「ちょっと、話したいことがあってさ〜」
言いながらテッドの了解も得ずに、その珍しい来訪者は勝手に椅子に腰を下ろす。
「あ、これ、さっき俺が釣ったマグロを刺身にしてみたんだ。美味いから食ってみろよ。
新鮮なマグロはやっぱ、刺身に限るってもんなんだぜ!」
テッドの目の前に、いかにも海の男の料理という無骨な刺身が置かれる。
テッドはこれまで、海から遠い場所に住んでいたせいか、魚はあまり食べたことが無い。
随分昔、食べた魚は、鮮度が落ちていて、生臭かったという記憶がある。
正直、刺身は抵抗があった。
ヒトを避け、強がっている自分の弱みを見せたくなくて、テッドは刺身を無視し、目の前の人物に強く言った。
「用件は何だよ!さっさと言えよ!俺は、ここに着いた日に、誰とも関わらないって言ったの、忘れたのか?
あの時、お前、レイと一緒にいただろ?」
「……あぁ、知ってるさ。俺は霧の船にも行ったしな。だから……お前と話をしたいんだ。
特別な紋章のことは、それを持っているお前に、直接聞いたほうが、早い気がしてな」
最もそんな紋章に縁の無さそうな人物が、真剣な顔でテッドに打ち明けた。
それほど背が高いわけでもないのに、がっしりした体格のせいか、大きく見えるこの人物の名前はタル。
霧の船で船長と戦ったときに、彼が先陣を切って渡り合っていたことが蘇る。
そんな強さを持っていながら、普段は剣を握るよりも、釣竿を握っているほうが多い気さくな兄貴、という男だ。
「話すことなんか、何もない」
テッドはタルの話を、一方的に遮ることで、諦めて部屋を去ることを願った。
この船の他の人間は、こうしたテッドの言葉に腹を立て、テッドを避けるようになったのだ。
テッドも内心では、心が痛む。
だが、自分に関わっては、そのヒトのためにならないことを知っている。
タルというこの男は、自分が呼び寄せたレイが霧の船に同行させたことを考えても、
レイにとって、かけがえの無い存在だとわかる。
「なるほどな〜確かに、そんなふうに拒まれちゃ〜避けたくもなる、か」
タルは、全てお見通しと言いたそうな目で、テッドを見る。
「話したくないってなら仕方ねぇけど……俺が一方的に話すから、聞くだけ聞いてくれよ」
テッドは、渋々ながらタルの向かい側に腰掛ける。
タルはきっと、話を終えるまで、自分の部屋から出て行かないつもりだとわかったからだ。

「特別な紋章ってのは、紋章自身が宿主を選んで、
その宿主を不老にして絶大な力を得るってのが通説らしいけどよ、自分の意思で宿したり、
外せるもんじゃねぇって紋章師のジーンさんが言ってたんだ。例えば、封印球を見つけても、
俺の持ってる土の紋章みてぇに、自由に宿せるもんでもねぇって」
タルは意外と、話上手だと気がついたときには、テッドは自然と話をしていた。
「自分の意思で外せるなら、俺はこんな紋章、外してるさ。
好きで呪われた紋章を宿すヤツなんているわけがない!紋章の力が大きければ大きいほど、
紋章を狙った悪いヤツが襲い掛かってくるんだ。レイだってそうだろ?」
「そうだな……レイも紋章を宿す前は、俺たちと普通にガイエン騎士団の訓練生やってた。
そんなレイが紋章がきっかけで、命を狙われたり、いろいろあって、
こんな大きな戦いのリーダーになっちまったもんな」
タルは昔を懐かしむような遠い目をする。
「レイは、紋章のおかげで得たものが多いって真っ直ぐな目で俺に言ったけど……
失ったものだって多いんだろ?俺、レイの言葉に影響されて、あの船を降りたけど、まだ少し後悔してる。
俺は、このソウルイーターで失うものばかりだったから」
テッドは言いながら、ソウルイーターの宿る右手をぎゅっと握る。
最初に宿したときは、まだ子供だった。
あの船のおかげで、少しだけ体が大人になった。
思った以上に、世界を離れた孤独が辛いことも、知った。

「レイは徐々に自分の命を喰われる紋章だって話だけど、テッドもそうなのか?」
「俺のは……自分以外の……親しい者の命を糧にするんだ」
言ってしまってから、テッドは慌てて口を押さえた。
誰にも言うつもりがなかったのに、つい洩らしてしまった。
「そうか、それで……か。それも辛いな。でも、だからって、
無理して孤独になろうとしなくても良いんじゃねぇか?好きでテッドの側にいるヤツは、
紋章のことを知ったって、お前を嫌いになったりしねぇよ。今まで、紋章があるお前を恨んでたヤツが側に居たか?
そんなヤツ、いねぇだろ?」
タルの言葉が、テッドの心に響く。
まるでずっとテッドを見ていたかのように、核心を突かれた。
「……俺さぁ、譲ってもらえるもんなら、その紋章、譲ってもらいてぇって思ったんだ。
俺もレイと同じ不老の時を、一緒に過ごせたらってさ。
でも、真の紋章自身に選ばれなきゃ無理だって知っちまった。
俺はアイツと同じ時間を生きることができねぇんだって気がついた。この先ずっと見た目が変わらねぇアイツに、
どんどん年を取る俺が側にいたら、見ているだけで辛くなるんじゃねぇのかって……」
これが、タルがテッドに言いたかったことなのだろう。
タルの心の叫びだと、テッドは察した。
力が欲しいのではなく、力を持ってしまった人間と共に同じ時を生きたいから
紋章が欲しいなんて言う人間がいることに、テッドは驚いた。
そんな人間には、長く生きてきたテッドも会った事がない。
「俺が想像する以上に、長い時間を過ごしているお前に、
こんな俺みたいなガキが軽々しく話すことじゃねぇんだろうけどよ……やっぱ、紋章を持つって、辛いか?」
テッドはそれが辛かったから、あの船に逃げたことくらい想像できそうなのに、タルは直接言葉を投げかける。
自分より若かった者が、自分よりも大人になって先に死んでいく。
生まれ育った土地が自分だけを残して滅びる。
だから自然と孤独を求めようという気持ちになった。
だが、そのとき、テッドの外見は幼い少年だった。
誰かの庇護を受けねば、生きることが難しかった。
優しくしてくれる者がいる反面、紋章の力を恐れ、態度を変える者もいた。
もう遠い昔の話で、顔も良く思い出せないけれど、哀しかったことは覚えている。
「辛いさ、どうして自分だけが?って思うさ……だけど、あの船で過ごしてみて、
はっきりわかった。俺は、この紋章と生きられるところまで生きなきゃならないんだって。
紋章と向かい合っているレイに会って、紋章から逃げている自分が恥ずかしくなったんだ。
だから、俺はこの紋章をもう誰にも渡さない。自分の命が尽きるか、紋章が他の誰かを選ぶまで、俺が宿し続ける」
テッドは、真剣にこんなことを言ってしまった自分に驚いた。
あれほど嫌だった紋章を、宿し続けたいなんて気持ちがあることが意外だった。
「あ〜なんか、そんな意思の強い目で言われると、
やっぱ俺はそういう紋章に選ばれそうにねぇって実感すんな〜俺はそんな大きな器、持ってねぇしよ」
タルはそう言って、穏やかに微笑む。
器の大きさなら、おそらく自分よりタルのほうが大きくて広いようにテッドは思う。
何も話さない、誰とも関わらないと言いながら、テッドは出会って間もないこの男に、
随分と込み入った話をしてしまった。
「俺は……お前のようなヤツに出会っていたら、あの船に乗ったりしなかっただろうな。
レイはきっと、お前みたいなのがいるから、紋章にも負けないんだ。
確かに、自分と同じ年頃だったヤツが、大人になっていくのを見るのは辛いさ。
でも、遠ざけられて拒み続けられるのは、もっと辛いんだ。だから……その……
レイが必要だって言ううちは、普段どおり、これからもずっと側にいてやれよ。
本人の気持ちを無視して、勝手に離れられるのは……凄く、辛いことだから」
かつて、自分が友だと呼んだ人間は、肉体の年齢が目に見えて離れていくと、
テッドが自分の気持ちを打ち明ける前に、相手のほうから姿を消した。
とても哀しかった。
だから、友達や仲間を求めなくなった。
別れるのが、辛いだけだから。
「お前は、自分だけ年を取るってこと、気にしてるみたいだけど……
長く生きてるとさ、それよりも、親しかったヤツが黙っていなくなるほうが辛いんだ。
紋章所有者ってのはさ、何かと争いの素になるから、そう長く同じ場所にはいられない。
不老だから、不審に思う人間だっている。
去り際は自分がわかっているから、それまでは、今までと変わらず、接して欲しい」
昔、自分が誰にも言えなかった気持ちを、テッドはタルに向かって出し切ってしまった。
不思議と、気分が晴れた。
「そっか……いつもどおり、俺は、これからもレイと友達でいればいいってことだな!
将来的に同じ時間を過ごせねぇってのは、やっぱり残念だって思うんだけどよ、
少なくとも、この先、ずーっと先になってもレイにはテッド……いや、テッドさんがいるもんな!」
「急に、何改まってんだよ、タル。今まで散々、俺を呼び捨てにしといて」
テッドは、初めてタルの名を口にした。
ここへ来て、テッドが相手の名前を呼ぶのは、レイとアルドに次いで3人目だ。
人を拒絶して、何年経ったかわからないが、自分以外の相手の名を呼ぶことが、
こんなに嬉しいものだとテッドは思わなかった。
「まだ継承されていない真の紋章が、タルを選べば良いのに。タルみたいな人間が継承者になれば……
こんな紋章を巡る争いなんか起こらない気がするし、タルと一緒なら、俺も自分の紋章のことで、
深く悩まない気がするよ」
テッドに自然と笑みが浮かぶ。
自分が笑っていることにも、気がつかないほど、自然に。
「あ〜それ、ジーンさんにも同じような事、言われたぜ。俺みたいなのが、
継承者なら、平和な世界が続くのにねぇ……って。そもそも、特別な紋章を宿している人間が、
身近に2人もいるってことだって、珍しいことなんだよな……つまり、そんな人間を2人も知ってる俺も、
実は結構凄いってことか!」
タルは、そう言って笑った。

「テッド君?僕だけど、入っていいかな?」
ふと、扉をノックする音と共に、アルドの声が聞こえる。
タルは、その声に勝手に応えて、扉を開けた。
「アルドさん、俺はもう帰りますから、ゆっくりしていってくださいね。
あぁそうそう、俺、自分で釣ったマグロを刺身にして持ってきたんで、テッドと一緒に食べてください!
この辺の海で、これだけのマグロはなかなか釣れないんですよ〜ま〜実は、
シラミネさんの潮の読みのおかげ、なんですけどね」
アルドはテッドが笑っていることに、気がついて驚きの声をあげた。
「テッド君が、笑った顔、僕、初めて見ます。タル君はテッド君と一体、どんな話をしたんですか?」
「アルド!俺は笑ってなんか無い!」
テッドは慌てて、いつものふてくされた顔に戻す。
表情は普段どおりだが、顔が妙に赤い。
「と、いうことみたいですよ?ただ、俺は釣ったマグロの自慢をしに来ただけなんですけどね〜」
タルは、そう言ってテッドに振り返る。
これまでの話の内容は、タルは誰にも言わないつもりなのだろう。
目が、そうテッドに語りかけていた。
一瞬だけそんなタルと目を合わせて、テッドはすぐに視線をそらす。
そらすと同時にタルは何も無かったかのように、部屋を出て行った。
「あれ?テッド君……刺身、全然手をつけてないんだね?」
アルドが指摘すると、テッドは黙って刺身を口にした。
魚が苦手だなんて、アルドに気付かれないように堂々と、でも内心、恐る恐る。
想像以上に、それは美味しかった。
「テッド君、僕も、もらって良いのかな?」
アルドが遠慮がちにテッドに問う。
「タルが一緒に食えって言ったんだから、アルドも食えばいいだろ」
「うん、そうだね!テッド君と一緒に食べれば、もっと美味しいね」
いつもは、アルドを無視しているテッドが、今日はアルドに答えた。
テッドが、他人と関わりを持ち始めたことだけでも、アルドは喜んだ。
それだけでなく、自分を受け入れてくれたような気がして、そんな変化が嬉しかった。
「マグロって……こんなに美味しいものだったんだな。今度、俺も釣り、やってみようかな」
「タル君にお願いして、教えてもらおうよ、釣り!」


テッドが、この船を降りたとき……側にはアルドの姿があった。
彼らが行動を共にするきっかけを作ったのが、実はタルだということは、本人も自覚が無いままだった。