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海は怖い。
海には魔物が棲んでいる。
文字通り、大型海王類を始めとしたモンスターもいるが、本当に怖いのはヒト。
逃げ場のない海の上では、ヒトほど、怖いものはない。
私は今でも、そう思う。

私は、海の上で命を落としかけた。
漁師の父と共に、漁に出たときは快晴だった。
父は漁師を目指すと決めた私を、なかなか船には乗せなかった。
この日、初めて父が船に乗せてくれたのだ。
近海の漁だから、すぐ戻るから乗って良いぞ、と。
でも、海の天気は変わりやすい。
天候を読み違え、私たちの船は座礁した。
こんな嵐はすぐに止む。
すぐに通りかかった船が助けてくれる。
この場所から戻らないという異常を漁業組合が把握しているから大丈夫。
父はそう言って私を励ましたが、全然明るい表情じゃなかった。
こんな嵐の中、航行している船などない。
不安だった。
近海の漁の予定だったから、食料も水もそれほど多く積んでいない。
船体が大きく損傷していないことだけが、唯一の希望。

嵐はなかなか止まなかった。
3日経って、嵐は治まったものの、海は荒れたまま。
食料はもって後1日。
また不安な夜を迎える。
そんなとき、船が近づいてきた。
父は救助船だと信じ、明かりを灯したのだが、それがまずかった。
その船は、船上荒らしを生業とする海賊船だった。
誰もいないと思い込んで乗り込んできた海賊に、私たちはあっさり捕まってしまった。
モンスター相手にはそこそこ戦えた父も、剣を持ったヒト相手では無力だった。
そんな父と、これが処女航海だった何の心得もない私は……もっと無力だった。
抵抗したが、屈強な海賊によって、共に後ろ手に縛られてしまった。
「ほんっと、しけた船だな〜」
船内を物色し終えて、金目の物が何も無いことに腹を立てた様子で親分肌の海賊がつぶやいた。
救助が来るまで大事にしていた食料も水も、一瞬で海賊たちの腹に消えた。
「親分、この女……磨けば上物じゃないですか?」
「なんだぁおまえ、この女はとりあえず、俺のもんだぜ!
この船には俺の欲望を満たすものは何もねぇし、
俺もたまっちまってるからよ〜せいぜい慰めてもらわねぇとな」
海賊たちは私を見て、下品に笑いあう。
こんな奴らに辱められるのなら、ここで死んでしまいたい。
こんなことなら、漁師ではなく、騎士団の訓練生になるんだった。
漁師への道か、騎士団への入団か迷っていた自分が愚かだ。
ただこの状況が怖くて、震えているしか出来ない自分が情けない。
父が私をなかなか船に乗せなかった理由が、こんなことで理解できたなんて。
男の臭い息が鼻先にかかる。
こんな男の手に触れられたくない。
その手が私の顔に触れようとした、そのとき船体が大きく揺れた。
「なんだ?今の揺れは?」
男の手が止まった。

「あの〜俺、群島列島漁業組合の者なんですけどね〜〜
お取り込み中、申し訳ないんですが、ラズリル港から出た潮風号の乗組員さんと……こちらは用心棒さんで?」
とぼけた様子で突如現れた、その人はとても逞しい身体をしていた。
身なりは腰に差した剣があるからか、漁師というより、戦士だと思った。
緊迫した状況のなか……穏やかに笑っていた。
私には、そこだけ、時間が止まったように見えた。
日が沈んで、薄暗い船内に光が射した気がした。
海の神様?
神というには生命力があって、なんだか王者、という風格がある。
そんなことを思った私を他所に、親分肌の海賊は怒鳴り散らした。
「はあ?てめえ、なにとぼけたことぬかしてんだ?わざわざ俺様に殺されに来たとは度胸だけは誉めてやる!」
そして狭い船室で、漁業組合から来たという男性の胸倉をつかみ、殴りかかろうとする。
「あぁ〜もう、ちゃんと身体洗ってるのか?汚ねぇ手で、触るんじゃねぇよ!」
男性は捕まれた手を、振り払って、一瞬のうちに気合のこもった拳を振り上げた。
海賊の醜い顔が、更に醜くつぶれる。
「き、貴様!何しやがる!!」
海賊はその拳を受けてもひるむことなく、持っていた剣を男性に突きつけた。
「だから、狭いとこで剣抜くなよな〜。しかもアンタ、そんな巨体じゃ不利だぜ?ま、巨体なのは俺も一緒か〜?」
あくまで男性は、とぼけた調子だった。
でも……その目は真剣だった。
「コノヤロウ、減らず口叩きやがって、ぶっころしてやる!」
我慢の限界を超えたのか、海賊は切っ先を男性に振り下ろす。
私は見ていられず、怖くて目をぎゅっと閉じた。

「……んな……バカ……な……」
うめき声を上げたのは、海賊だった。
膝をついて、そのまま倒れる。
「わりぃな、俺もやっぱ格闘より剣のほうが慣れてるからよ」
再び目を開けたとき、男性の手には剣が握られていた。
その刀に血が流れた様子はない。
「んと、大丈夫でしたか?潮風号の皆さん?」
男性によって、縛られていた手が自由になった。
父が、開口言ったのは、男性の剣さばきの見事さだった。
「剣で受け止め、更に一撃を加えるとは……海で守り神様に逢ったような気持ちです。
助かりました……ありがとうございます」
「いやいや、同じラズリルの漁師仲間じゃないですか〜当然のことをしたまでです。
困ったときは助け合うのが群島の漁師だって、俺の師匠が言ってました。
あ〜でも、このままこの人たち、この船に放置できませんからね〜加減はしたんで、
そろそろ起きてくれると思うんですけど」
背後で伸びている海賊が、先ほどまで私の恐怖の対象だったことが滑稽に思える。
海賊がこんなに弱かったのではなく、突然やってきたこの人が……強いのだ。
私は呆然と、その人を見るしかできなかった。
「あ……お前は大丈夫か?親父さんのことも……漁師って仕事のことも嫌いになっちまったか?」
男性は心配そうに私に声をかける。
「こいつらは海賊連中の中でも、性質の悪い部類なんだ。当然、腕も立つ。
だから漁師の親父さんが弱いわけじゃねぇ。怖い思いしたかもしれねぇけど、
親父さんはこんな世界で働いてる。すげえんだってわかったろ?」
黙っている私の頭を、男性は優しくなでて言った。
今頃になって、そのときの恐怖が蘇って……私は泣いてしまった。
「あぁ〜おい、泣くなよ〜」
男性はそういって、私の頬に触れる。
この人に触れられたことが、なんだか嬉しくて……涙は止まらない。
「とりあえず、外、出よう?……な?」
私は涙をぬぐいながら、船室を出た。
そこには……大勢の海賊が倒れてうめいている。
父が呆然と立っている。
一体何が起きたのか?
「また派手にやったようだな、タル」
新たな海賊船が横についたかと思うと、そんな声が降ってきた。
「キカさん〜笑ってないで、そろそろ海賊同士で、漁船襲わない協定取り付けてくださいよ!
危うく、命を落としかけたんですよ」
「そういう割に元気そうじゃないか。お前のことだ、どうせ嵐で命を落としかけたってところだろ?
だいたい海賊よりずっと、強い漁師のお前が何を言う……むしろ、その役目はお前、じゃないのか?」
キカと呼ばれた女の人は、静かに笑う。
キカ……今最も海賊王の名がふさわしい、有名なあの?
私は涙をぬぐいきって、その姿を見定めた。
凛とした風格のある……凄くキレイな女性。
雲が晴れて、月明かりに照らされた姿は女の私も見とれてしまう。

と、その時、勢いよく船室の扉が開かれた。
アイツが……立ち上がれるほど回復したのだ。
殺気、というのを一瞬感じた。
タルと呼ばれた男性が真剣な顔で剣を構える。
だが振り向くと、何か鋭いナイフのようなものが海賊の身体すれすれに刺さっている。
「キカ様、やはり彼は漁師にしておくには勿体無いと俺は思いますよ?」
「ダリオより絶対、使えるもんな〜」
そのナイフは、キカの船で部下らしき男が投げたものらしい。
海賊は……彼らを見ると、今までの威勢のよさは何処へいったのかと思うほど真っ青な顔で慌てふためく。
「な……海賊キカが……なんでこんなしけた漁船の側にいるんだ!」
「ほう、私の名を知っているのか?ならばついでに覚えておくんだ、漁師連中には手を出すな!
ここにいる漁師タルは、私の友だ。それがどういうことか、剣を交えたお前なら、わかるだろう?」
キカの言葉に、恐れをなして海賊たちは次々と自分の船に戻っていった。
驚いたことに、倒れていた海賊は全員、生きていた。
打ち所が悪かったものは、多少足を引きずったり、鼻血を出したりしていたが、
死者がひとりもいないことは意外だった。
「タル、漁から戻ったら海賊島にも寄ってくれ。たまにはお前の釣った魚を食べたい」
「わかりました!キカさん、ありがとうございます!」
男性はそういって微笑む。
「冗談抜きで、待っているぞ」

キカの船が遠くなると、男性は言った。
「ということで、俺は漁業組合員のタルって言います。漁師としてはまだ経験不足ですが、
よろしくご指導願います!」
そして父に向かって、深々と頭を下げる。
「そ、そんなタルさん……頭を下げるのは自分のほうです。自分はタルさんが神様のように見えますよ。
助けていただいたのに、たいしたお礼もできませんし……」
「いいえ、漁師としては俺より大先輩ですから!あ、船はもう動かせると思いますよ?」
男性の言葉を待っていたとばかりに海から声がする。
「タル、リーリンとリーランで、がんばった」
「ふね、キズ……ない、です」
私が下を覘いて見ると、そこには……船乗りも滅多に見ないという人魚がいた。
しかも二人。
「おう、ふたりともありがとな〜また、何かあったら頼りにしてるぜ」
男性が人魚に向かって手を振る。
人魚も手を振り返して、再び海へ還っていった。
「ということだから、とりあえずラズリルへ戻りましょう。水と食料、持ってきますね」
男性はそういって、自分の船へ戻ろうとする。
私は……その背中に向かって言った。
「あの……また逢えますか?」
振り向きざまに、言葉が返って来た。
「俺は漁業組合の人間だからな〜、漁師って仕事してれば年中会うことになるぜ?」

いろいろなことがありすぎて、私は頭が混乱していた。
海賊キカ。
人魚。
……タル様。
でも、これだけは確実に言える。
私は絶対、漁師になろう。
あの海の王者には、漁師になれば、いつでも逢える。
「お父さん……私、漁師になる。ラズリルに戻ったら……タル様に弟子入りしたい。
ダメだって言われても……タル様についていく!」
私はそう言葉にすることで、決意を固めた。

そして、この日から、私は日記を書き始めた。
この日見た、タル様の姿を忘れたくなくて、絵も描いた。
私が、タル様の船に乗ったのは……その後まもなく、だった……。