←戻る

------------------------
「そっか……レイはオベルに残るのか〜寂しくなるな〜」
タルはそう言って、レイに寂しそうに微笑んだ。

エルイール要塞を鎮圧させ、群島諸国連合が誕生し、戦いの日々も幕が閉じた。
「ま、俺は騎士団の建て直しが一段落したら、シラミネさんの船に乗るんだ!
3年くらいは漁師修行して……んで、毎日、魚釣ろうと思ってる。
俺が一人前の漁師になって自分の船を持ったら、そんときはさ、レイ……また一緒に釣りしようぜ!」
ずっと剣を握っていた手が、釣竿を持つ手に変わることで、レイは平和になったことを実感する。
タルは気がついているだろうか、この釣竿。
レイの握る、それは昔、タルがレイに渡したものだった。

オベル港が肉眼で容易に見える地点に、タルとレイは小さな船を出した。
新しい国が誕生し、まだ数日しか経っていない。
オベル王は群島諸国を巡る日々で、戦いのころよりも忙しく船を出している。
今日はラズリルに向けて出発する予定だ。
おそらく、これが、タルと話す最後になる。
レイはそう思って、一緒に釣りをしようと持ちかけた。
話したいことはたくさんあった。
でも実際こうして、釣り糸を垂れていると、言葉が出てこない。


「あ〜しかし、全然釣れねえな〜」
タルの言うとおり、さっきから魚は一匹も釣れていない。
だが、目的が釣りではないことが、タルにもわかっていたから、船を移動させようなどとは言わない。
「レイ、何か……言いたいこと、あるんだろ?」
黙っているレイに向かって、話をしやすいように先を促す。
タルは自然にそういうことができる。
これまでも、ずっとタルはそうしてレイに心を開かせた。
一人で何でも抱え込もうとするなよ、そういうタルの気持ちが嬉しかった。
レイにとって初めてできた、友達。
レイにとっては……今は、それ以上の存在。
「僕も……本当は……一緒にラズリルに帰りたい」
搾り出すように、レイは小さくつぶやいた。
こんなこと、タルじゃなければ言い出せなかった。
「でも、僕はリノさんに頼まれた仕事があるし、我侭だってわかっているけど……。
それに僕はラズリルで……騎士団を壊したようなものだし……
そんな僕が英雄呼ばわりされているのも変だと思ってて……」
言いたいことがうまく言えない。
タルにはそれがわかっているから、何も言わずに黙ってレイの言葉に耳を傾けている。
タルならば、本音を言っても受け止めてもらえる。
レイはそんな気持ちで、言うつもりのなかったことまで口にしていた。
「……僕はきっと、タルに会うのはこれで、最後になるから」

こんなことを言っても、いつものタルなら、笑い飛ばしてくれる。
レイの不安を他所に、そんなことないと言ってくれると思っていた。
「お前、最後ってなんだよ?どういうことだ??まさか、紋章の影響が残ってるってんじゃねえよな?」
強い口調でタルは言いながら、向かい合ったレイの両肩を強くつかんだ。
真剣にレイに対して怒っていた。
「おい、レイ……どうなんだ?単純にもう俺に会いたくないってだけなら、
仕方ねえけど、お前は特別な紋章の継承者なんだ……宿主に寄生して、
孤独を誘うって話だったし……なあ、ちゃんと答えろよ!」
タルは自然と肩をつかむ手に力が入りすぎ、それにレイは顔をしかめる。
「い、痛い……痛いよ、タル」
「……答えろ、レイ」
少し力を抜いて、タルは真剣な眼差しでレイを見つめる。
つい目をそらしてしまいそうになるが、レイは意を決してタルの視線を受け止めた。
「タルには、また逢いたい、ううん……離れたくない。僕の最初の友達だから、
大切な人だから……僕が傍にいたら、いつかこの紋章がタルを傷つける。
だからみんなとは離れなきゃいけないんだよ。逢わないほうが、きっと互いのためだよ!」
タルの機嫌を損ねるようなことを言い放ってしまった。
レイは、言ってしまった後、そう後悔した。
自分で覚悟を決めて、もうタルに会うのは最後だと言っておきながら、
タルに嫌われて別れるのがこんなに辛いとは思わなかった。
不思議と涙は出てこなかったが、悔しさだけが胸を占める。
今更、もう取り返しはつかないだろう。
レイはそんな気持ちでタルを見つめた。
……タルは、満足げに笑っていた。

「ばかやろう……何が、離れなきゃいけない!だよ?」
あっけに取られたレイの顔を見て、タルはいつものように笑う。
「つまりは、なんだ?別に紋章がお前の寿命を喰っているってわけでもねぇんだよな?
勝手にお前が、俺たちと距離を置こうとしてるってだけなんだよな?」
「そんな簡単に言わないでよ……本当のことなんだから。僕の傍にいたら、
いつかそういうことになるんだよ?僕ともう関わらないほうが、タルのためだよ!」
レイはもう、自棄になってタルに言った。
「会わないのが俺のためだって?それは、間違ってるぜ、レイ」
タルは唐突にレイの頭をなでて、諭すように言った。
「俺は好きでレイの友達やってるんだ。俺はレイと一緒にいること、
それだけで楽しい気分になる。レイがどう思っているかわかんねえけど、
俺は紋章があろうとなかろうと、関係ない!ただ、レイの友達でいたいんだ。
だからさ……そんな風に思われると、俺も困っちまうんだ……俺がレイを苦しめてるんじゃないかって」
タルは言いながら、困ったような顔をする。
「その……迷惑か?」
レイの頭をなでていた大きな手の動きが止まる。
レイは小さく答えた。
「迷惑なわけ……ないよ。僕だって、タルとずっと……友達でいたい」
「なら、それでいいだろ?同じ群島にいるんだし、また会いたいときに、
いつでも会えばいいじゃねえか!連絡船があるんだしよ、そう、今日で最後になんかするもんか!
ラズリルに戻る船にお前がいないのは……ホント、寂しいけどよ」
言いながら、タルはレイの肩を再びしっかりつかむ。
レイの肩にタルの大きな手の感触が重く、そして暖かく伝わる。
「俺も多分、ラズリルに戻るっていっても、もう騎士団員じゃないし、
シラミネさんの船に乗ったら簡単には戻ってこれねえと思う。でもな、落ち着いたら絶対会おうな。
レイがラズリルに行きにくいっていうなら、俺がオベルに来たっていい」
タルはそう言って、レイの顔をまじまじと覗き込んだ。
「だから、これで最後だなんて思うなよ」
「……で、でも……僕は……」
タルの顔が近すぎて、何故か気恥ずかしくて直視できないレイは、視線をそらしながら言葉を発した。
タルはそんなレイを見て、怒りを見せてしまったことを思い出して、照れくさくなってきた。
それをごまかそうと、肩から手を離すと同時に話題を変えた。
釣竿に当たりは来ない。

「ラズリルに戻ったら……多分、お前よりスノウ坊ちゃんは苦労するぜ。
レイは団長のことで、冤罪だったとはいえ島全体から手のひら返されたから、
想像つくだろうけどよ。あいつは……それよりもっと酷いことをしたわけだからな」
そう、レイは意外に思った。
スノウがラズリルに戻ると言い出したこと。
彼は自分のしたことを全部償うために、ラズリルに戻る決意を見せた。
レイはスノウにそんな辛い人生を歩ませるために、生きることを許したのではない。
タルがかつての自分にしてくれたように、ただ本当の友達として向き合いたい、そう思ったからだ。
戦いが終わって、スノウがそんな決断をしたことを知り、レイは胸が痛んだ。
そう思いながら、今日までレイはスノウとまともに会話をしていない。
互いにまだ、ぎくしゃくしているのだ。
いろいろありすぎて、簡単に話せそうに無かった。
「僕は結局、まだスノウとはタルみたいに話せてないよ……スノウはこれから……
確かに僕よりも……生きていることが辛いって思うような日々を送るのかもしれないよね。
酷いやつだよね、僕は。殺せって言ったスノウの気持ち、全然わかってなかった」
レイは思いつめた顔で、全く引かない釣竿の先を見つめた。
「考えなくってもスノウはこの先、大変かもしれねえけどさ〜
今のスノウは一人じゃないってこと、レイ、忘れてねえか?」
レイはタルの一言で、思い出したように顔をほころばせた。
「そ、そうだね!今のスノウは昔の僕、だね?」
「さすがレイ様!そのとおりでございますよ!」
タルはおどけて見せた。
今のスノウには……タルがいる。
仲間がいる。
かつて自分が仲間に救われたように、今度はスノウが救われることだろう。
「やっぱり、僕もラズリルに帰りたい……なんか、楽しそうなんだもの」
レイは笑顔でそうつぶやいた。
「いつでも好きなときに、帰ってくればいいんじゃねえか?」
タルが軽い調子で答える。
「友達に会うのに、理由なんか、何もいらねぇんだぜ!」
タルの言うとおり、理由なんかいらない。
会いたいときに会いに行こう。
レイはそう思って、タルに言った。
「タル、スノウのこと……僕の分までよろしくね」
明るい表情のレイに、タルも笑顔で応じる。
「レイの代わりは、俺には務まらねえけど……いつかお前らが、
本当の友達になれるように、俺は力になるつもりだぜ!」
タルがそういうなら、スノウのことは問題ないだろう。
レイはそう思った。
この先、いつ会えるかわからない。
けれど、今日は別れの日ではなく、旅立ちの日なのだ。
レイはそう思い、タルに手を差し出して、告げた。
「タル、今日で最後……じゃない……今日でしばらくタルとこうして話せなくなるけど、また、会おうね!」
「ああ、もちろんだ!」
タルは力強く、その手を握り返した。
「怒ったりして……悪かったな」
「タルは……悪くなんかないよ。僕、叱ってもらって、嬉しいくらいだ……あ!!」
突然、レイは大声を上げた。
「な、なんだ?レイ??」
紋章のことがあるためか、タルはまず、レイの身に何かあったのかとレイを見やる。
レイの視線は海のほう……。
「僕の釣竿……流されてるよ〜」
話し込んでいるうちに、波にさらわれたのか、レイの釣竿が辛うじて肉眼で見える位置に浮いている。
今から船で取りに行くには遠い。
「こりゃ〜あきらめるしかないな」
「そ、そんな……あっさり言わないでよ!」
タルの言葉に悲痛な叫びを上げるレイ。
「そんなに大事な釣竿だったのか?あれ?」
タルは何食わぬ顔でレイに話しかけたが、レイは真っ青な顔をして黙り込んでしまった。
「……俺、泳いで取ってこようか?」
そんなことをつぶやいたとき、釣竿は船のすぐ傍に戻ってきた。
首をかしげるタルの前には、かつて無人島で出会った人魚のリーリンがいた。
「これ、レイの、だいじなもの。レイ、これ、たからもの」
タルに釣竿を手渡し、こういうと、リーリンは姿を消した。
「あ……ありがとう!本当に、ありがとう!!」
レイは即座に、タルからその釣竿を受け取ると、大事そうに胸に抱え込んで言った。

「これ、タルに初めて釣りに誘ってもらったときに、タルからもらった釣竿なんだ。
だから僕の、たからもの、なんだよ」
タルにとっては、どうでもいい釣竿にしか見えないかもしれない。
事実、当時、数ある釣竿の中から、タルが適当に渡したものに過ぎなかった。
でも、レイにとっては大事なモノだ。
「なんか……そんな大事にされてたなんて知らねえから……
簡単にあきらめろ〜なんて言っちまって悪かった、すまねえ……でも、戻ってきて良かったな」
タルは言いながら、釣り糸を海から引き上げて、帰り支度を始めた。
そろそろラズリルへ向かう船が入港してくる。
名残惜しさを感じながらも、タルは先に行動することでレイを促す。
「タル……また、会えるよね?絶対、会えるよね??」
不安そうにレイは繰り返した。
「だ〜か〜ら!これが最後の別れ、とか思うなよ!
つーか、絶対、会いたくなくても会うんじゃねえか?その釣竿が、お前のところに戻ってきたみたいにさ」
タルはそう言って、レイに優しく微笑んだ。

タルは今日、ラズリルに戻る。
けれど……きっと、また自分の前に戻ってくる。
タルが、自分の一番大事な人だから。
タルが自分の一番のたからもの、なのだから。
レイはそう思えた。