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僕はきっと、最初から気がついていた。
僕は何においても、彼には敵わないということに。
地位も名誉も立場も、そのとき僕は、確かに彼より上だった。
僕は誰からも羨望され、将来を期待され、賞賛される存在だった。
そして、僕はそれが当然のことだと思っていた。

でも、それは僕自身のことではなく、
僕がフィンガーフートという名前を持っているだけのことだったのだと……今は思える。
そのときの僕は、何も知らず、愚かで……逃げてばかりの卑怯者で……。
それを隠すため、外面を良く見せることに必死だった。
自分よりも優れている彼を、自分より劣ったものとして扱うことで、満足していた。
彼には友達だ、などと口では言って……内心は、小間使いとしか見ていなかった。
そう思うことで優越感に浸り、絶対的な自分の存在を保ちたかった。
彼は、そんな僕の卑怯な姿に早くから気づいていて、何かと僕を立てた。
僕にわざと負けて、変わりに失笑を買ったりしてくれた。
僕はそんな気遣いをさせている自分自身が悔しくてたまらなかった。
彼は、そんなときも黙って傍にいるだけで、決して僕に本音を言わなかった。
言ってくれれば良かった。
本気を出せば、お前など足元にも及ばない存在なのだ、と。

自立ができる年頃に成長したとき、彼はガイエン海上騎士団に入団したいと初めて自分の意思を告げた。
僕や父にこれ以上、迷惑をかけたくないから。
騎士団に所属して、最後までこの街を守るために貢献するから。
僕は……そんな立派な彼の意思を受け止められなかった。
僕には、うわべだけでも友達と呼べる人間が、彼しかいないことがわかっていたから。
遠くに行って、そのまま僕の前から離れていくのが嫌だった。
だから、僕も一緒に騎士団へ入った。
……入隊試験は、経済的に騎士団を支援している領主の息子だった僕は何も受けなかった。
実力を認められて、迎え入れられた彼とは、このときすでに目に見えて差がついていた。

「よ、レイ。昨日は悪かったな〜」
僕の隣に、いつものようにいる彼が突然声をかけてきた相手に向かって言った。
「タル!……ううん、僕のほうこそ付き合わせてごめん。スペシャルランチ、
やっぱり宿舎には残ってなかったよね?」
今まで遠慮がちに小声で話をしていた彼が、普通に言葉を返す姿が意外だった。
これまで僕に見せたことの無い、明るい表情をしている。
昨日、僕は父に会いに来た客人をもてなすために、身分の違う彼には家に戻らないよう言いつけた。
そのとき、確か近くにいた、このタルと呼ばれた人物に剣の相手でもしてもらえ、とは僕が言った。
もちろん、僕は彼が相手にされるはずがない、そう思っていた。
だが、違ったようだ。
「ん〜誰か俺の分、残してくれてねえかと思ってたけど、そんな甘い話はないよな〜。
あ、もしお前が気にしてるなら筋違いってもんだぜ」
打ち解けた様子で、目の前の男は彼に告げる。
「あ、その……タル、紹介するね。僕の友達の……スノウだよ」
彼はそう言って、僕を見やる。
「あの……スノウ。昨日、僕と友達になったタルっていうんだ」
同じ友達という言葉だが、僕にはその意味が違って聞こえた。

「領主様の息子、スノウ坊ちゃんってみんな言うから、もう少し近寄りがたいと思ってたけどよ、
そうでもねぇ雰囲気だな〜。俺はタルって言うんだ。よろしくな」
タルと名乗ったその男は、僕に握手を求め、手を差し出す。
僕は、良家の育ちで、彼が僕よりも格下ということを強調するかのように、微笑んでその手を握った。
「レイと、仲良くしてやってくれ。僕からもお願いする」
タルは一瞬、彼に視線を投げて何かを訴えるような目を向けていたのが目に焼き付いた。
これまで僕に近づく人間は、大概、僕個人ではなく、フィンガーフート家に取り入ろうとする人間ばかりだった。
きっと、この男も、この後すぐ、資金援助のことでも言ってくるんだろう。
彼に近づいたのはそのためだ。
僕はそう思っていた。
「今、俺はレイだけじゃなくて、お前とも仲良くしたいって意味で握手したんだぜ?
ま、俺みたいな下賎の者と友達になれないって言われたらおしまいだけどな〜」
タルはそう言って屈託無く笑った。
僕は想像していたことが外れ、言葉が続かなかった。
そんな僕を他所に、二人は言葉を交わし続ける。
「……本当は今日、僕から、タルに声をかけようって思ってたのになあ」
彼は僕の前で、こんなふうに自分の意見を述べることは今まで一度も無かった。
「そんなの別にどうだっていいじゃねえか〜それより、今日の剣術訓練、
また手合わせしてくれねえか?手加減も遠慮もなしで相手して欲しいんだ」
タルの言葉に、彼は少し考えた様子で、遠慮がちに僕に言った。
「……スノウ、少しだけ今日はタルの相手をして……良いかな?」
「キミの好きにすればいいさ。いつまでも僕の相手ばかりじゃ退屈だろうから」
口にしてから、ひがみにしか聞こえないと思いながらも、僕はそう突き放すような言い方をした。
僕は、彼にとって、タルとは明らかに違う友達、だと悟ったから。
「もちろん、スノウ坊ちゃん、お前ともお願いしたいぜ!いつまでもレイ相手じゃお前だって退屈だろ?」
そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、タルは気さくに話しかけてきた。
タルに対して彼がすぐに心を開き、僕以上に打ち溶け合っている理由がわかった。
この男には、裏表が無い。
損得も関係ない。
ただ友達になりたい、それだけなのだ。
彼が少しずつ変わり始めたように、僕も変われるのだろうか?
「わかった。僕もタル、キミに手加減はしないつもりだよ」
それがきっかけで、僕も騎士団内で、友達と呼べそうな人間が増えた。

だが、実際はタルのように、普通に接してくれる人間は多くなかった。
その反面、彼は実力で、騎士団の期待を担う人物として憧れの存在になっていった。
自然に、彼にはタルを中心に仲間と呼べる人間が集まっていた。
でも……僕はあくまで領主の息子、として羨望されるだけだった。
表面上、僕と彼はそれまでと何も変わっていなかった。
変わったのは、僕が彼に対して抱いた感情が、友情から嫉妬、そして羨望となったことだった。
その羨望は、罰の紋章がきっかけで、恨みへ変化した。

そして、僕は彼を……突き放した。
団長殺しの罪を着せて。
騎士団だけでなく、ラズリルから追放した。
それは嘘だと、反論すると思っていた。
なぜなら、それは僕の狂言だったから。
なのに、彼は何も言わなかった。
素直に処罰を受けた。
本当は、団長殺しは死罪に値する大罪だったが、僕は……彼を死にまで追い込む気は無かった。
僕が涙ながらに訴え、彼は流刑になった。
正直、このとき僕は、彼がいなくなることで勝利をおさめた気分だった。
これで、彼の仲間だった人間は僕の、僕だけの味方になってくれる。
そんな気持ちだった。

彼が騎士団から去った翌日。
僕は、いつもの仲間連中に見慣れた顔がいないことに気がついた。
「レイたち……大丈夫でしょうか?」
「俺たちは信じて待つしかできないが……一人じゃないんだ。大丈夫に決まっている」
エルフ族のポーラと、どこか高貴な雰囲気のあるケネスが小声で言い合っている。
僕は何食わぬ顔で、彼らに言った。
「これから、騎士団はどうなるんだろうね」
そんな僕を、彼らは軽蔑するような眼差しで見つめながら言った。
「スノウ……あなたはレイのことは心配じゃないのですか?」
「騎士団のことよりも、スノウはまず、レイの心配をする立場じゃないのか?」
僕の仲間だと思っていた人間は、やっぱり彼の仲間、だったのだ。
「大体、なんでスノウがここに、平然といるんだ?……タルたちは、レイが心配で一緒について行ったんだぜ!」
ケネスは怒りをあらわに、僕を責めた。
「スノウは俺たちより長くレイの友達やってたんじゃなかったのか?親友じゃなかったのかよ!」
心に残る、深い傷になった。
やっぱり僕は、口先だけで、彼の本当の友達ではなかったのだ。
彼を追放して、結局ひとり、取り残されたのは、僕自身だった。

……僕は……それから、すぐに騎士団を抜けた。
僕と一緒についてきてくれる友達は誰もいなかった。
そのことが引き金になり、ラズリルを捨てた。
父は、僕の気持ちに共鳴したかのように、敵国クールークに島そのものを売った。
僕は……彼の持つ、罰の紋章の情報を売った。
何度か彼の率いる軍と戦った。
強い絆で結ばれた大勢の仲間のいる彼に、すべてを失った僕が太刀打ちできるわけがなかった。

そして僕は、彼に殺してくれと望んだ。
僕は彼に許されるべき存在じゃないから。
僕には失うものが、何もないから。
けれど、僕は彼によって生かされた。
生きていくことが、償いになる、とでも言うかのように。
彼は以前と変わらず、多くは語らなかった。
ただ、静かに微笑んだだけだった。


「こうして四人が一緒にいるってのも、不思議なモンだよなぁ……」
タルがしみじみとした口調でつぶやいた。
僕は今、彼の軍に加わり、かつて騎士団で一緒に過ごした仲間たちと、風呂場にいる。
本当に不思議だと思う。
「僕も……そう思うよ。でも……今の、この状況は悪くないと思う」
僕がそういうと、かつて僕を叱ったケネスが言った。
「なら、何も問題はないじゃないか」
「……うん」
彼は何も言わなかったが、これまで僕に見せたことのない笑顔を向けてくれた。
彼とケネスは先に風呂を出て行ったが、最後まで残っていたタルが僕に告げた。
「まぁ、なんつーか……スノウ坊ちゃんもさ、いろいろあったんだよな。
レイのヤツ、ずっとスノウのこと、気にしてたんだぜ?」
「そう……なのか。僕は、彼に……酷い事ばかりしたよね。
なのに、こんな風に生かされていて、本当に良いんだろうか?」
僕は自分の気持ちを素直に口にしてみた。
最初に僕を、領主の息子ではなく人間として見てくれたのがタルだったから。
「それ、この戦いが終わったら、レイに直接、自分で話せよ。
なんつーか、今のお前、昔のレイみたいに言いたいこと言えなくて困った顔してるぜ」
言いながら、タルは唐突に僕の頬を軽くつねる。
「い、いきなり、な、何するんだよ!」
「……人形じゃねえんだからよ、つらいときはつらいって、
言いたいことがあるときは、ちゃんと言えよ……俺たちは友達、だろ?」
タルは軽く、僕の頭をなでて湯船から出て行った。

……僕は、そのタルの言葉が嬉しくて……湯船に顔を押し付けて、少しだけ泣いた。